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記事や評論にしたって「ここまで調べ、書くからこそ伝わる、書く意味がある」というところまで書いているでしょう。「読者には難しいから」とそれをやらないと、けっきょく読者に意見が届かないし、読んでも何も人間的なものが残らない。読むほうも書くほうも、出来事の機械的な記述が「情報」だと思っている。みんなで「主観をまじえずに」「やさしく」などといって、それをいつか「考えない」と同義のことにしていませんか。そこに逆説がひそんでいることを知っていながら、誰もお互いにその逆説を確認しようとしていないんじゃないですか。
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*1: 写真との対話, 「世界のはじっこにあるものにむかって」(畠山直哉へのインタビュー) p20, 報道写真の衰退、日本/海外の新聞をとりまく意識の差について